「虚子と兵庫 1」
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虚子記念文学館が兵庫県芦屋市に開館したのを受け,虚子と兵庫県がどのような関わりを持っていたのかを紹介する展示。(展示紹介キャプション)
松山出身の虚子は帰省の途中,神戸港に立ち寄ることも多かったかと思われるが,兵庫県下におけるその足跡は須磨・芦屋・有馬などの六甲山系の麓と,丹波豊岡にほぼ限られている。
虚子にとって須磨はかつて病床の子規を看取った思い出の地であるとともに,須磨近郊には多くの弟子たちが住み,その交流や芦屋に居を定めた長男年尾一家との団欒は,晩年の虚子にとって心の和むひとときであったに違いない。
展示品一覧
軸
昭和40年4月
扇子
「あるがまゝ歩き来し道菊の晴 汀子」
扇子
「五月晴ともいふ心地漲れり 年尾」
書簡
明治28年8月9日付
軸
昭和14年6月
扁額
昭和3年
扇子(額装)
昭和23年
葉書
葉書
葉書
葉書
葉書
葉書
葉書
葉書
軸
後藤夜半還暦祝
「生れたる頃の寒さは知らざりき 虚子」昭和29年11月13日
軸
播水・八重子銀婚を祝し
菊日和 七句 虚子
「其の後の二十五年の菊日和」
「よき菊をよき子供をと育てたる」
「菊は咲き子は人と成りつゝましく」
「家庭和楽秋風富むといふに非ず」
「マーガレットを好むや芭蕉を好むや」
「離れには白磁に生けしコスモスを」
「子規も亦古き歴史の須磨の秋」
軸
虚子の投句短冊
「娘の宿はたとへ狭くも風薫る」明治30年5月24日
短冊
昭和23年2月11日
句入茶碗
写真(パネル)
須磨浦公園 虚子・年尾・汀子
句碑(拓本)
子規・虚子 師弟句碑
「ことづてよ須磨の浦わに昼寝すと 子規」
「月を思ひ人を思ひて須磨にあり 虚子」
写真(パネル)
須磨浦公園 虚子・播水
昭和30年5月24日
原稿
昭和10年12月17日
封筒
書物
昭和4年12月5日
書物
昭和21年6月15日
書物(俳誌)
昭和13年4月 〜
19年4月短冊
阪神間の虚子にゆかりの俳人たち
高野素十「空を行く一とかたまりの花吹雪」
高浜年尾「秋の蚊の灯より下り来し軽さ哉」
星野立子「春待つや赤き毛氈次の間に」
中村若沙「鹿垣はあたりのものを淋しくす」
田畑比古「謡本静にとぢぬ朝ざくら」
長谷川素逝「山の日がげんのしやうこの花に倦む」
森信坤者「桜鯛百目二百目三百目」
關圭草「牡蠣船の隣の客は役者らし」
岩木躑躅「夜学子を幾度母の覗きけん」
京極杞陽「縁談の進みながらにリラ植ゑて」
五十嵐播水「下り佇てば遅月の淡路籬の上に」
小畑一天「春愁の面をおもふ美しき」
写真(パネル)
虚子歓迎句会(和興にて)
昭和30年5月24日
写真
五十嵐播水・八重子銀婚記念
昭和24年11月2日
見取り図
年尾居 見取図
昭和22年再建
書物(俳誌)
昭和25年11月 〜
28年3月書物(俳誌)
昭和6年12月 〜
10年8月書物(俳誌)
昭和10年9月 〜
10年10月短冊
高浜虚子「秋天の下に野菊の花弁欠ぐ」
西村泊雲「藪入りや日帰りにする山二ツ」
野村泊月「はるかなる涛のうねりに春の月」
山本梅史「法隆寺次法起寺や東風強し」
阿波野青畝「須磨すゞ志いまもむかしの文の如」
山口誓子「鳰鳥の息のながさよ櫨紅葉」
後藤夜半「筆の穂の長いのが好き福寿草」
大橋桜坡子「脂粉の香ただよふ桟敷踊見る」
田村木国「鶯の鳴く谷々や下山僧」
皿井旭川「蹴て去る蝶に牡丹ゆるぐなし」
日野草城「白梅や日光高きところより」
高木石子「昨日立ておきし落葉の帚取る」
下村非文「又もとの己が日々なり鳥総松」
皆吉爽雨「郭公の且うつりとぶ田を植うる」
森川暁水「椋鳥の冬まためぐり軍あらず」
軸(選句稿)
昭和10年4月24日
扁額
小出楢重絵に虚子賛
「花衣脱ぎもかへずに芝居哉 虚子」
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