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俳句十二ヵ月
理事長 稲畑 汀子
花鳥諷詠との関わり ― 四月 ―四月は春酣の季節です。桜をはじめ多くの花が満開となり、生命の喜びを感じる頃です。自然を詠うもよし、感情や感慨を季題に托して詠むもよし、外に出て伸び伸びと俳句を作ってください。花鳥諷詠の楽しさはすぐに貴方のものとなるでしょう。
俳句というものは季題、定型に縛られた詩であると同時に、花鳥諷詠詩であると私は常に言っております。花鳥とは春夏秋冬の移り変わりによって起こる、自然界ならびに人事界の現象をいうのでありまして、その背後には、「人間も自然の一部である。」とする東洋的な世界観があると私は思います。
すでにお話ししましたように、俳句は何を対象として詠んでもいいのであります。社会や自我といった近代文学の大きなテーマももちろん結構であります。しかしそれらを詠む場合も、そこに花鳥諷詠詩としての特質がなければなりません。そこには季節感がなければならないし、何よりも詩がなければなりません。観念や思想は直接に述べるのではなく、あくまでも眼前のもの、季題に托されて自ずから現れるものでなければなりません。結果として社会や人間が描かれればよいのであります。それが俳句固有の方法なのです。
この池の生々流転蝌蚪の紐 高濱虚子
この句は『七百五十句』に収められていますが、この句集には虚子の到りついた境涯が色濃く反映されています。世界の肯定といえばよいでしょうか、この世に存在するものはすべて生も死も含めてそのままでよく、喜ばしいものであるという世界の見方です。
この句にもそれが感じられます。蝌蚪はお玉杓子のことです。春になった池のほとりでは、紐のようなものに連なった寒天のような蛙の卵から、次々お玉杓子が孵ります。それを見ている虚子は、蛙という生物の、生まれ変わり死に変わり生命をつないでいく営みに思いを馳せ、「それでよいのだ、しっかり生の喜びを歌いなさい」と言っているのです。池は蛙にとっての宇宙にほかなりません。そう考えると、この句は私たち人間、いやあらゆる生物の生の営みに対しての応援歌のようにも思えてきます。
俳句では観念や思想は直接に述べるのではなく、眼前のもの、季題に托して自ずから現れるものという具体例がここにあります。
NHK出版 俳句十二ヵ月 より
本のご紹介
NHK出版 俳句十二ヵ月〜自然とともに生きる俳句〜
NHK俳壇の本
俳句十二ヵ月〜自然とともに生きる俳句〜
著者 稲畑汀子
発行 安藤龍男
発行所 日本放送出版協会
定価 本体1600円+税日本に暮らす。俳句と暮らす。
現代俳壇の祖・高浜虚子の孫であり、俳誌「ホトトギス」の現主宰である筆者が、俳句とともに季節を生きる喜びと、虚子直伝の俳句の骨法を、やさしく語る。
季節の言葉「季題」を、古今の名句・美しい写真・実作のエピソードをもとに紹介する第一章「季節を友として」、虚子名言集をもとにした実作解説の第二章「ホトトギスの教え」、自然とともに生きる俳句の豊かさを語る第三章「自然と人間」等、見て美しい、読んでためになる一冊。
俳句の世界に興味を持つ人から、句歴の深い人まで、俳句を愛するすべての人へ贈る、十二か月を俳句と暮らすための俳句入門書。