正岡子規を偲ぶ「仰臥漫録」展



01

 





子規筆「コゝアを持て来い」草稿
複製(花笛文庫蔵)

 明治三十五年一月二日朝に子規が鉢植の福寿草とともに認めた草稿。当時の牛乳は独特の匂いがしたため、子規はコゝアを混ぜて飲んでいた。牛乳は大変高価で、病人の栄養剤であった。コゝアを飲んだ後、塩煎餅が食べたいと駄々をこねていると、伊藤左千夫が空也煎餅を持って訪問。丁度よいところ、「あいた口に牡丹餅」だとばかりに空也煎餅をほうばる子規。禅問答風に描いているのは、元旦の日に赤木格堂が持参した臨済宗の書『碧岩録』を見て、仏典詩句に興味を持ったからで、早速これを使ったものであろう。正月の静けさが子規独特のユーモアを添えて語られている。





子規逝くや十七日の月明に  虚子
(原田一郎氏寄贈)

 明治三十五年九月十九日午前一時、子規永眠。その夜宿直として子規庵に詰めていた虚子は、子規の逝去を同じく根岸に住む碧梧桐に知らせに行く途中、空を見上げると陰暦八月十七日の月が、白々と射しているのに心奪われた。この月の光の中に、虚子は子規の魂が昇天していくさまを見出したのであろう。





子規逝くや十七日の月明に  虚子

箱書「子規居士小照/乙卯夏日 下村為山画 高濱虚子賛」
大正四年夏、子規居士肖像画会の頒布会で制作された合作。





秋日和子規の母君来ましけり  虚子

 句は明治三十六年九月二十日、子規旧居における子規一周忌追善句会においての詠であろう。同年「ホトトギス」十一月号所収。





秋日和子規の母君来ましけり  虚子

虚子賛、津田青楓画によって、頒布会用に制作された合作。





四季

花守の花よりさきに老にける

鳥啼て石をうち込若葉哉

わびしげにすねをねぶるや秋の蝿

ミぞるゝやふけて水田の薄明り

 箱書に「子規居士四季之句幅」とある正岡忠三郎氏(子規の妹律の養子)伝来の一軸。残念ながら署名はないが、四句とも子規句稿「寒山落木」所収句であること等から、子規真蹟であると判断できる。

 

 


01