「仰臥漫録」
12 出口
夜会草の花(一名夕顔) 明治35年9月3日夜写
「仰臥漫録」では最後のスケッチ。子規の弟子であり、歌人の伊藤左千夫が向島で買い求め贈った鉢植の花を写生したもの。新聞「日本」に掲載していた「病牀六尺」(116)には、「緑の広葉うち並びし間より七、八寸もあるべき真白の花ふとらかに咲き出で、物いはまほしうゆらめきたる涼しさいはんかたなし」と、この花についての記載がある。
《参考資料》
子規原稿「煩悶」 (虚子記念文学館蔵)
「時は午後八時頃、体温は三十八度五分位。腹も背も臀も皆痛む。」に始まる未完原稿「煩悶」は、公刊されることなく、執筆年次も未詳であるが、その内容から明治三十五年頃と推測でき、まさに「仰臥漫録」執筆時と重なる。
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