「仰臥漫録」



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 左の地図は不明。俳句の下の朱は大正7年に岩波書店から出版された複製本『仰臥漫録』にはなく、子規の筆かどうかは疑問。


大岩の穴より見ゆる秋の海  、
朝■や我に写生の心あり   、
草花を画く日課や秋に入る  、○
門川や机洗ふ子五六人    、
物洗ふ七夕川の濁り哉    、
洗ひたる机洗ひたる硯哉   、
丁堂和尚より南岳の百花画巻をもらひて朝夕手を放さす病床の我に露ちる思ひあり  、
  題画
庭行くや露ちりかゝる足の甲
  臥病十年
首あげて折々見るや庭の萩  、
  親鸞賛
御連枝の末まで秋の錦哉   、
  薩摩知覧(チラン)の提灯といふを新圃にもらふたり
虫取る夜運座戻りの夜更けなど
  千里女子写真
桃の如く肥えて可愛や目口鼻 、
  (同)
桃の実に目鼻かきたる如きかな
翡翠や芙蓉の枝に羽つくろひ
桃売の西瓜食ひ居る木陰哉




 句の下に書かれた「右」「左」は、自らの目の形をスケッチしたもの。子規を往診した宮本医師によると、子規の右眼は孔子や釈迦と同様に眼裂が横に長い「鳳眼」で、博学の相であるという。


○畑モアリ百合ナド咲イテ島ユタカ 、○
○一列ニ十本バカリユリノ花
○鄙ノ==様家南向==イテユリノ花 、
 百姓ノ麦打ツ庭ヤユリノ花     、
 伸ビ足ラヌ百合ニ大キナ蕾カナ
○姫百合ヤ日本ノ女丈低シ
○百合ノ花田舎臭キヲ好ムナリ
                愛スカナ
 百姓ノ土塀ニ沿ツテ百合ノ花    、
○百合持ツテ来タル田舎ノ使カナ
○宣教師ノ細君百合ヲ好ミケリ
 花売ノ親爺ニ問ヘバ=鉄砲百合
○姫百合ヤ余リ短キ筒ノ中
○六尺ノ百合三尺ノ土塀カナ
○用アリテ==在所ヘ
          行ケバ百合ノ花  、

 

 


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