「日本派」特別展5 ―虚子と「ホトトギス」の小説時代



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「虚子の小説家時代」というタイトルは、「虚子イコール俳句一筋」とお思いの方に、意外な驚きを与えるかもしれません。
しかし、「春風や闘志抱きて丘に立つ」と詠じて大正2年に俳壇復帰する以前の、明治40年代の虚子は、月刊文芸雑誌「ホトトギス」の執筆兼経営をこなしながら、国民新聞の文芸部長としても奮闘する「小説家」でありました。もともと虚子には、子規入門当初から小説家志望があり、これについては回想録『俳句の五十年』にも記されています。
 文章熱は漱石に刺激されたものと自ら述べる通り、虚子が本格的に小説を書き始めるのは子規没後、明治38年に漱石の「吾輩は猫である」が「ホトトギス」に掲載され、爆発的な人気を博し、「ホトトギス」の発行部数が格段に増加し、子規門の歌人・俳人仲間から、小説家が現れた明治40年頃からです。この頃の「ホトトギス」には、虚子をはじめ、坂本文泉子(四方太)・伊藤左千夫・長塚節・寺田寅彦・鈴木三重吉・野上八重子らの小説が巻頭を飾っています。

明治41年1月1日発行 正月特大号 一冊45銭
 本編には小説七編、写生文三編、紀行文七編、さらに附録には虚子小説「病兒」を含む小説六編、評論一編を掲載し、「ホトトギス」における文章の占める割合は七割を超える。また美術談や評論など掲載論考は多岐にわたり、俳句雑誌というよりはむしろ、総合文芸雑誌と呼ぶにふさわしい。この総合文芸雑誌化こそが、当時の虚子が目指していた「ホトトギス」の有り方であった。

明治四十一年一月号「ホトトギス」掲載の原稿類





虚子小説
「病兒」
自筆原稿
(花笛文庫蔵)





左千夫
「隣の嫁」





八重子
「柿羊羹」





鼠骨
「烏」





柑子
「障子の落書」





片山天弦
「文壇最近の趨勢」





鳴雪
「老梅居雑話三十一」





鳴雪選募集俳句
「門松」

 

 


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