「日本派」特別展
−近代俳句の夜明け−平成13年9月7日(金)〜平成14年9月29日(日)
※期間中、展示替を予定しています。
江戸時代から連綿と続いてきた類型化した月並俳諧とは異なる、明治という新しい時代にふさわしい俳句を求めて、正岡子規は様々な俳句革新を試みた。その一例が明治25年新聞『日本』紙上の「獺祭書屋俳話(だっさいしょおくはいわ)」連載であり、翌26年の新聞文苑欄募集俳句の掲載である。新聞記者であった子規は、当時の最先端メディア「新聞」を媒体として、大量の情報を全国同時に送り出すことに成功した。
「日本派」とは、新聞『日本』紙上で活躍する人々の総称であり、初期「日本派」には高濱虚子・河東碧梧桐・内藤鳴雪・五百木飄亭らを挙げることができる。東京根岸の子規庵には多くの俳人が集い、子規賛同者は全国に広がった。明治27年松山の松風会を皮切りに、関西を中心とする京阪満月会、仙台の奥羽百文会といった日本派俳句会が次々と生まれた。子規没後、新聞『日本』の編集は碧梧桐によって引き継がれる。
本編では、「日本派」俳人達の句軸・短冊・書籍等に加えて、句作鍛錬の跡を生き生きとうかがうことのできる句稿や貴重な書簡を陳列し、新派俳句探求のための一助となればと願っている。
左から
高浜虚子「星落つる籬の中や砧打つ」
内藤鳴雪「我声の吹き戻さるゝ野分かな」
正岡子規「ゆく春の酒をたまはる陣屋かな」
幸田露伴「春霞国のへだてはなかりけり」
尾崎紅葉「衣更へてよき扇こそもたりけれ」<書簡>
虚子宛子規書簡
子規宛虚子書簡
虚子宛森鴎外書簡
虚子宛陸羯南(くがかつなん)書簡
<原稿・句会稿>
子規原稿「病床問答」
回覧句稿「はれの日」・回覧句稿「古庵り」
回覧句稿「櫻十句集」・句会稿「発句始」
虚子俳句鍛錬会句稿「俳諧散心」
碧梧桐俳句鍛錬会句稿「俳三昧」
<句軸>
正岡子規・内藤鳴雪・高浜虚子・河東碧梧桐
<短冊>
伊藤松宇・幸田露伴・尾崎紅葉・角田竹冷・
岡野知十・巌谷小波・大谷繞石・佐々醒雪・
佐藤紅緑・五百木瓢亭・佐藤肋骨・内藤鳴雪・
中野三允・夏目漱石・松瀬青々・松根東洋城・
村上霽月・星野麦人・柳原極堂・中川四明・
寒川鼠骨・青木月斗・矢田挿雲・野田別天楼などを展示しています。
子規庵最後の蕪村忌の記念写真(明治33年12月23日)
出口