「仰臥漫録」



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「仰臥漫録」第一冊の最終丁(右)と第二冊の巻頭部分(左)


 「仰臥漫録」第一冊が終わりかけた頃、子規は自分の命の終わりを悲観して逆上し自殺願望に捉われ、ナイフに千枚通しを描いて「古白曰く来たれ」と記す。藤野古白は明治28年(1895)にピストル自殺を図った子規の従弟。東京専門学校で坪内逍遥に学び、俳句のみならず小説や戯曲も執筆。『古白遺稿』は子規が編集した。また「古白曰来」については、ロンドン留学中の漱石に「実ハ僕ハ生キテヰルノガ苦シイノダ。僕ノ日記ニハ『古白曰来』ノ四字ガ特書シテアル処ガアル。』(明治34年11月6日付 漱石宛子規書簡)と密かに告白している。


 逆上スルカラ目ガアケラレヌ。目ガアケラレヌカラ新聞ガ読メヌ。
新聞ガ読メヌカラ只考ヘル。只考ヘルカラ死ノ近キヲ知ル。
死ノ近キヲ知ルカラソレ迄ニ楽ミヲシテ見タクナル。
楽ミヲシテ見タクナルカラ突飛ナ御馳走モ
食フテ見タクナル。突飛ナ御馳走モ食ツテ見タク
ナルカラ雑用ガホシクナル。雑用ガホシクナルカラ書物デモ
売ラウカトイフコトニナル・・・・・・。イヤヽヽ書物ハ売リタクナイ。
サウナルト困ル。困ルトイヨヽヽ逆上スル。

古白曰来(こはくいわくきたれ)


 再ひしやくり上て泣候処へ四方太参り、
「ほとときす」の話、金の話などいろゝ不平を
もらし候ところ、夜に入りてハ心地はれゝと
致申候。

十月十四日 誰も参り不申。

十月十五日 一昨夜寝られさりし故
昨夜ハよひの程より眠り申候。起きてハ眠り
ゝ、とうゝ夜明け候へは、直ニ便通あり。
心地くるしく松山伯父へ向け手紙一通
したため申候。

 

 


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