「ホトトギス」一三〇〇号記念展



01


 今年四月で、高濱虚子・年尾・汀子、三代の主宰による月刊俳句雑誌「ホトトギス」が一三〇〇号を迎えます。日本で最も古い、明治三十年一月創刊のこの雑誌は、もともと俳句革新に奮闘する子規を応援し、地元松山の郷党達の勉強の場を提供するために、柳原極堂が独力で編輯し、松山で発行したものでした。発行部数三百では経営できず、極堂は子規に助けを求めます。そして翌三十一年十月、兄から借りた三百円で出版権を極堂から買い取った虚子が発行人となり、東京から「ホトトギス」を出版しました。これが表紙絵・口絵を施された、二十一号です。千五百部刷って即日完売し、追加で五百部刷り直しています。以後「ホトトギス」の販売部数は、小説ブームによる文芸雑誌化や戦争による景気の変動、虚子の病気等の影響を受けて何度も浮沈を繰り返します。ここに陳列した記念号のみを見ても、頁数や内容が極端に異なり、各々の時代を反映させていることが窺えます。
 しかし、虚子の提唱した「花鳥諷詠」の理念は、虚子の後を継承して「ホトトギス」主宰となった年尾・汀子に、今なお脈々と受け継がれています。人間も自然の一部と観じ、一貫して自然を見つめ、自らの喜怒哀楽に托して諷詠するという生き方を、虚子・年尾・汀子三代による句軸・色紙・短冊などから看取していただければ幸甚です。

ホトトギス」記念号
 明治三十年の創刊から数えて、今年四月で千三百号を迎える日本で最も古い雑誌「ホトトギス」の主宰は、虚子から長男年尾へ、そして年尾の次女汀子へと繋がった。同時に、虚子が唱えた花鳥諷詠、客観写生、平明で余韻ある作風もまた、脈々と詠み継がれている。

「ホトトギス」記念号の表紙絵と原画





「第1巻第1号、第2巻第1号、100号、200号、300号、400号と記念句集、500号」





「600号、700号及び川端龍子画原画、800号及び川端龍子画原画、900号」





「1000号、1100号と岡信孝画原画、1200号と岡信孝画原画」





「1300号と岡信孝画原画」


川端龍子画ホトトギス表紙絵原画
川端龍子(明治十八〜昭和四十一年 八十歳)は、明治四十年に挿絵担当画家として国民新聞社に入社し、同社の俳句選者であった虚子とは、この頃から交流が始まっている。同社の挿絵画家には平福百穂もおり、龍子と百穂は以後「ホトトギス」の表紙絵・挿絵において華を添える存在となった。絹本に描かれた七百記念号は龍子お得意の池鯉で、泳ぐ鯉の背中に「700」と水泡が浮かぶ、心憎い構図である。

また、龍子の孫にあたる岡 信孝は、昭和七年川崎市生まれ。龍子の資質を継承した繊細でのびやかな花鳥画を得意とし、昭和五十七年以降(五十九年を除く)現在に至るまで、「ホトトギス」に表紙を提供している。
なお、一三〇〇記念号の表紙「富士に桜図」は、通年の表紙とは異なる、特別版である。





「亀」(大正十五年二十九巻 表紙絵)
「あけび」(大正十五年十月号 裏表紙絵)





「雪月花」(大正十六年三十巻 表紙絵)
「南天」(昭和十二年一月号 裏表紙絵)





「蝶」(昭和十四年四十二巻 表紙絵)
「柘榴」(昭和四十一年六十九巻 表紙絵)

 

 


01